チャーリー・ワッツは、1991年に来日公演を行った際に行われた小川隆夫によるインタビューで、ジャズと出会った頃の様子を次のように語っている。
「17、8歳になって、ジャズ・クラブに出入りするようになる。よく行ったのがロンドンの『フラミンゴ・クラブ』。ここでさまざまなミュージシャンを聴いたよ。ローカル・ミュージシャンばかりだけど、みな素敵だった。ジャズ・ドラマーになりたい気持ちを行くたびに強くしたものさ。」*
The Flamingo Club
フラミンゴ・クラブは、1952年から1969年までロンドンのソーホーにあったナイトクラブ。イギリスのジャズやR&Bの発展に重要な役割を果たした。1963年頃にはモッズ・サブカルチャーの中心地としても知られるようになり、ジャズとR&Bの両方のファンとミュージシャンが肩を並べていた。ローリング・ストーンズ、ビートルズのメンバーやジミ・ヘンドリックスら多くのミュージシャンも訪れ、毎夜ジャム・セッションが繰り広げられていた。
17歳のチャーリーがフラミンゴ・クラブに通い始めた1958年頃はジャズが中心で、彼はジャズ・ドラマーへの憧れを抱き始めていた。そして、30年近い月日が流れた1986年、「ロニー・スコッツ・クラブの舞台に立ちたい」とのチャーリーの思いが実現し、”The Charlie Watts Orchestra”でジャズ・ドラマーとしてデビューを飾ることになる。"ロニー・スコッツ・クラブ"のオーナーであるロニー・スコット(ts)と、チャーリーのジャズ・デビュー・アルバム"Live at Fulham Town Hall"に参加しているビル・セイジ(vib)は、1958年当時フラミンゴ・クラブのハウス・バンドを務めていた。
《フラミンゴ・クラブ》は、チャーリーをジャズ・ドラマーへと導いた原点のクラブであり、ローリング・ストーンズ結成前に、後のメンバーと親交を深めた歴史的な場所でもあった。
The Charlie Watts Orchestra
"Live at Fulham Town Hall"
Recorded : 1956,07,31
Released : 2001,09,11
"Well good evening ladies and gentlemen and welcome to 'Jazz at the Flamingo'! "のアナウンスに導かれ、’A Night in Tunisia’のホットな演奏になだれ込む。1956年7月31日にフラミンゴ・クラブで録音された本作は、当時のロンドンにおけるジャズ熱を伝えてくれる。リーダーはドラムスのトニー・クロンビー、テナーサックスは、後に自身のクラブを開業することになるロニー・スコットが務めている。
チャーリーがフラミンゴ・クラブに通い始めたのは1958年頃。本作のライヴから約2年後になるが、まだイギリスに《ロック》が登場する前、ジャズ最盛期の音にどっぷりと浸かり、ジャズ・ドラマー憧れる17歳のチャーリーがそこにいた。