Recorded : 1992,08,05
Released : 1994
英国フリー・シーンの最重要ドラマー、ジョン・スティーブンス率いるカルテットが、1992年8月5日<Crawley Jazz Festival>に出演した際のライヴ盤。
Recorded : 1964,05
Released : 1965
1964年5月ロンドンのロニー・スコッツ・クラブで録音されたソニー・スティット(ts)とディック・モリッシー・カルテットによるライブ・アルバム。ドラムはフィル・シーマンに代わりカルテットに加入したビル・エイデンが勤めている。
Recorded : 1967,06
Released : 1967,09
1. A Whiter Shade of Pale
プロコル・ハルムは、1960年代から1970年代に活動したイギリスのロック・バンド。‘A Whiter Shade Of Pale’(「青い影」)は、1967年のデビュー曲で世界的な大ヒットとなった。バンドのドラマー、ボビー・ハリソンはデビュー・シングルのB面 ‘Lime Street Blues’ 収録直後にレーベル側から解雇されてしまったため、A面となった ‘A Whiter Shade Of Pale’ には当時セッション・ドラマーとしても活動していたビル・エイデンが起用された。
生前ジョン・レノンもこの曲をお気に入りのひとつとして挙げており、「人生でベスト3に入る曲」と語っていた。また、発表当時の1967年には「今の音楽業界で、この曲以外は聴く価値がない」とも発言していた。
なお、‘A Whiter Shade Of Pale’(「青い影」)は、1967年5月12日に本国イギリスでのデビュー・シングルとしてリリースされており、1967年12月にリリースされたイギリスのファースト・アルバム“Procol Harum”には収録されていない。一方、本国イギリスに先立ち1967年9月にリリースされたアメリカでのファースト・アルバム“A Whiter Shade of Pale”には冒頭1曲目に収録されている。
"A Whiter Shade of Pale"
We skipped the light fandango
turned cartwheels 'cross the floor
I was feeling kinda seasick
but the crowd called out for more
The room was humming harder
as the ceiling flew away
When we called out for another drink
the waiter brought a tray
And so it was that later
as the miller told his tale
that her face, at first just ghostly,
turned a whiter shade of pale
She said, 'There is no reason
and the truth is plain to see.'
But I wandered through my playing cards
and would not let her be
one of sixteen vestal virgins
who were leaving for the coast
and although my eyes were open
they might have just as well've been closed
『青い影』
2人は踊った 明るいファンタンゴを
廻る車輪のように フロアを横切って
僕の感覚は船酔いのようだった
人々は呼びかけた もっと踊れと
部屋には騒ぎ声が響き渡っていた
天井が吹き飛ばされるほどに
僕たちは次の飲み物を求め
ウェイターはトレイを持って来た
その後のことだった
「粉屋の話」をするにつれ
彼女の顔は 幽霊のように
青白くなっていった
彼女は言った
「理由はないの。真実はご覧のとおりよ。」
僕は迷った 自分の打つ手を探して
彼女をさせたくはない
沖へと旅立っていく
16人のヴェスタの巫女の1人には
僕の目は開いていたのに
何も見えていなかったのかもしれない
Recorded : 1992,03,30
Released : 1992
スタン・トレイシー(p)のオクテット(8人組)によるアルバム。
英国ジャズのゴッド・ファーザーと呼ばれた彼は、1926年12月30日イングランドのサウス・ロンドンで産声を上げた。16歳の時にプロ・ミュージシャンとして活動を開始し、1957年にはロニー・スコット(ts)と共にテッド・ヒース楽団のメンバーとして渡米し徐々に名声を集め始める。その後1960年から1967年に掛けてロニー・スコッツ・クラブのハウス・ピアニストとして活躍し、その地位を不動のものとした。2013年12月6日、癌のため鬼籍に入った。享年86歳。
本作にはチャーリー・ワッツ・オーケストラでも共演した、ピーター・キング(as)、ドン・ウェラー(ts)、デイブ・グリーン(b)も参加しており、5管+3リズム隊のオクテットならではの厚い音と軽快なソロを聴かせてくれる。また、このアルバムはブルーノート・レーベルからリリースされており、ジャケットも一目見ればそれと分かるブルーノート作品となっている。
Recorded : 1963,04
Released : 1964,10
ビル・ル・サージュとロニー・ロスが1961年に双頭リーダーとして結成したカルテットによるファースト・アルバム。ビル・ル・サージュは、バイブ奏者、ピアニスト、アレンジャー、コンポーザーとしてクレジットされている。
Recorded : 1972,03,23
Released : 1972
《スピリチュアル・ジャズの闘士》とよばれたチャールズ・トリヴァー(tp)が、盟友スタンリー・カウエル(p)らと共に、1972年ドイツのクラブ《ドミ シル》に出演した際に録音されたライヴ・アルバム。 ベースはチャーリー・ワッツ・オーケストラに参加しているロン・マシューソン。ドラムスは当時若干21歳のアルヴィン・クイーンが勤めている。
2曲目の'Brilliant Circles'では、ロン・マシューソンのフリー・スタイルのベース・ソロを聴くことができる。全編にわたりチャールズ・トレヴァーの絶頂期ともいえる白熱した演奏で、スタンリー・カウエルら3人のリズム隊もトレヴァーの演奏を煽り立てている。
それにしても、このアルバム・アートの強烈さ。真に《Impact》(『衝撃』)である。
Recorded : 1968,08
Released : 1970
ジャック・ブルースの2枚目のソロ・アルバムで、1970年にリリースされた彼唯一のインストゥルメンタル・ジャズ・アルバム。特に1950年代のビバップと1960年代のフリージャズの影響を受けている。ギターで参加しているジョン・マクラフリンとは、後にトニー・ウィリアムズ・ライフタイムで再演することとなる。
Recorded : 1993,11,02-03
Released : 1994,03
Disc 1
Disc 2
1993年11月2日と3日にドイツのケルンで開催されたジャック・ブルースの50歳の誕生日を祝う彼のキャリアを総括したコンサートを収録した作品。ジャズ・ブルーズ・フュージョン・ロックと、彼の多様な音楽史を俯瞰できる内容となっている。
ジャック・ブルースとチャーリー・ワッツの関係は古く、1962年のアレクシス・コーナーのブルース・インコーポレイテッドでの共演に始まり、1979年の”Rocket 88”、1986年のチャーリー・ワッツの初ソロ・アルバム”Live At Fulham Town Hall”にもチェロ奏者として参加している。
ジャック・ブルースといえば、エリック・クラプトン、ジンジャー・ベイカーと結成したスリーピース・ロック・バンドのクリームが有名だが、ジャズやブルーズに根ざした様々な音楽活動を行った。
Recorded : 1993 – 1994
Released : 1994,05,17
BBM
Additional
BBM (Bruce Baker Moore)は、前掲の1993年にジャック・ブルース50歳のキャリアを総括したライヴ・アルバム“Cities of the Heart”で、ジャック・ブルース(b)、ジンジャー・ベイカー(ds),
ギャリー・ムーア(g)が共演したことが発展して結成されたトリオ・バンド。1993年にロックの殿堂入りしたクリームのエリック・クラプトン(g)抜きの再結成かと思われる節もあったが、ギャリー・ムーアのワウ・ペダルを多用したギターもトリオに馴染んでいて、ジャックとギャリーによる楽曲の良さも目立つ。1曲目の‘Waiting In The Wings’はクリームの代表曲‘White Room’を、2曲目の’City Of Gold’はクリームの名演によるロバート・ジョンソンの‘Crossroads’を彷彿とさせるが、それが意図的なのかこれこそがBBMなのかは意見の分かれるところだが、ジャック・ブルースが数多く参加したバンド、アルバムのなかでも秀逸な作品となっている。
Released : 1998 [Single-CD]
ジュリー・デニス(vo)はリバプール生まれのシンガーで、活動初期からジャズの才能を認められていた。スタン・トレーシー、ボビー・ウェリン、ドン・ウェラー、ハリー・ベケット、ジャン・トサント、コートニー・パインなどの有名ジャズ・マンと共演している。
本盤はB.F.L.プロジェクトによるテクノ・ミュージックで、ジュリー・デニスはボーカルで参加している。
なお、ジュリー・デニスはチャーリー・ワッツ・オーケストラのアルバム“Live at Fulham Town Hall”には収録されていないが、バンド・メンバーとしてロニー・スコッツ・クラブ等でのライヴに参加している。
Released : 1988
本作は、1988年にリリースされたゲイル・アン・ドロシーのソロ・デビュー・アルバム。ゲイルはヴォーカルの他、ベース、ギターもプレイしている。プロデュースはエリック・クラプトンのバンドでベースを担当していたネイザン・イースト。 エリック・クラプトンも1曲目の'Wasted Country'にギターで参加している。
Recorded : 2011,05 – 2013,02
Released : 2013,03,08
ゲイル・アン・ドーシーは、アメリカ出身のベーシスト、バック・ボーカリスト。1995年から2016年まで、デヴィッド・ボウイのバンドに長く在籍したことで知られている。
本作は、2013年1月8日デヴィッド・ボウイの66歳の誕生日に公式サイト上にて突如リリースが発表された。前作から実に10年ぶりとなるボウイにとって27枚目のオリジナル・アルバム。一部では「ボウイは引退した」との情報も流れていただけに、新作の発売は驚きをもって迎えられた。
本作でゲイル・アン・ドーシーは、ベースおよびバック・ボーカリストとして10曲に参加している。